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夢見の国ネオテニーランド。次なる世界を創っていこう ♪

《コミュニケーションの香り》と《知覚の中心軸》

 

 先週16日、パートナーはヌースアトリウム in 福岡 で

 アニマンダラのレクチャーをしに出張していて
 福岡(地元)だから、ついていこうかなーとも思いましたが
 今回はわたしも都内で色々予定があって
 ネオテニーランドでお留守番していました。
 

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 お留守番とは言っても、、
 連休初日は森で変形菌の会に参加して

neotenyland.hatenablog.com


 連休2日目は、恵比寿で調香レッスン。

neotenyland.hatenablog.com

 

 参加しているのは、一応、初級レッスンですが
 実際は中級の方や上級の方が多くて
 辻先生だけでなく皆さんから学ぶことも多いです☺️

 わたしは、まだ春分の頃から
 香りの世界に足を踏み入れたばかりなので
 まだまだまだまだ
 何がなんだかわからない状態ですが、毎回とても新鮮で🍀✨

 大切なのは情報や小手先のテクニックじゃない。

 核心に触れる勇気を持って

 ほんの少しでも叡智を見出すこと。

 少なくともわたしにとって香りの世界を深めていくのは
 自分の中であまり開発されていない感覚を目覚めさせていく
 そんな作業でもあるので、とても大切にしています。

 外に正解を求めない。
 自分の、ど真ん中の感覚を信じること。
 ハートの知性に訊く。

 言葉にするとシンプルだから
 サラッと流してしまいそうなことが、どれだけ大切か。。
 でも、最初は自分の認識している感覚が
 自分の中心から
ズレているんだってことに
 なかなか気付けないし

 それは普通の人間なら誰だって揺らいでいる。
 まずは、そこに気付くことが大切なんだと思う。
 (だから先生からのフィードバックがとても大切!!)
  
 どこまで正直に、誠実に、素直に、そして謙虚に
 見つめられるか、表現できるか。
 純度の高さが問われるなぁ、、、と、毎回思います。
 自分の中の歪みや穢れと純粋性、両方を自覚していく日々🐥
  
 まっすぐ見つめていくには
 内的知性と勇気と根気が要るのかもしれません。
 でも、それこそ自分という存在が行きたがっている方向。

 ゼロポイントって、言うは易しなのですよね。
 安易に、というか外向けに
 アピールするようなことじゃ全然!ないです。笑
 同時に、ゼロに留まることなく
 (どのみち生きていると留まれませんが)
 ゼロポイントから冒険に出る振り幅も大切で
 冒険から、いつでも自分の力で戻ってくることが
 しなやかな強さに繋がるんだと、改めて思います。
 
 このあたりを自分の中で、しっかりみつめて
 『思い出していく』作業を日々しているところ。

 先日の調香レッスンでは
 本人と背景と中間の3パターンの調香の話がありました。 
 その中で、対象者を意図した上で
 そのひとのコミュニケーションの香りを作りましたが
 わたし自身の意識の位置、状態がより見えてきました。
 
 ここからは先生からのフィードバックを受けて
 自分で感じたこと。。
 わたしのウハネ的なところが、まだ発展途上だから
 こういう調香になるんだなぁ。と、現状を認識したの。
 言葉にしなくても、人間のことがわからない、で
 済ませてきた(しかもこれまではそれで生きてこれた)ところを
 ちゃんと感じて観じて言葉にしていく🔎
 
 自分の中で最近よく考えていたことともリンクして
 わからないことだらけの中、ひとつふたつ、腑に落ちました。
 

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 人間は、まだ動物ごとから抜けられていないと
 アニマンダラでも云うけれど、本当に、そうなのよね。。

 ありとあらゆる、生存のための戦略。恐怖。
 外骨格への誘惑。
 
 時に、誠実に生きられない弱さは
 誰の中にもあるものだから
 そこを責めても仕方がないのだと
 あらためて、最近よく思うの。
 自分にせよ他人にせよ、そういうところは嫌だけど、そこに捉われないように。

 
 でも、わたしはその弱さの存在を認めながらも
 少しずつでも、時間がかかってもいいから
 なんとか乗り越えようと日々模索中。
 自分を生きるしかない。
 
 『何度でも新しく生まれる』by MONDO GROSSO
 と同時に、
 この身をもって一般的な意味で死ぬチャンスは一度しかなくて。
 
 死ぬ練習は眠ることで毎晩行われているから
 明晰夢も、そうじゃない夢も、やはり夢を観ることは大切ね🌸
 
 正式に(?)死ぬときは目覚めていられるよう
 (つまり死んでいない・持続において生きる、わけですが)
 ちゃんと生きることをしていきたい。

 
 実は22日の朝、父方の祖母が他界したと連絡がありました。
 95歳と5ヶ月。老衰でした。
 入院したときは、もう長くはない、
 夏は越せないだろうと聞いていたから
 心の準備はできていたけれど。元気な祖母でした。
 苦しまずに旅立ったみたいで良かったねと話しています。
  
 その日、ナミさんのブログにこんなことが書いてあったの。

ameblo.jp

 以下、ナミさんのブログより引用。
 
 「むかう」と「むかえる」の違いと、「余生」と「余命」の違い

 向かうと想うと細い出口のように想うのだけど、
 迎え居ると想うと360度全開で知覚の中心軸が定まる。
 
 余命って与命だと想っていましたら、
 この記事書く時の文字変換で「余命」だったのに新鮮な驚きでした。
 
 常に与命です。
 常に与生です。
 
 が、むかうとむかえるの違いほどの差があります。
 意味がまったく逆転してしまいます。
 
 与えられたいのちという意味でもあり、与えて往くいのちでもあります。
 観ることで与えられるいのち。
 ヒトと観合う、自然と観合う、うちとそとがずっと観合っていのちを与えあっている。
 ヌーソロジーでも言っている「アナタとワタシの挟間に世界が生み落とされる」という瞬間。
 
 目が遭わなければ、視点が合わなければそこに世界は生み落とされない。
 瞳の奥の瞬間、永遠の語りを迎える。
 向かうとなるとまた軸から抜けるという感覚。
 
 自分の廻りが動いている。
 自分が動いている。
 自分も動いている。
 
 自分も動くから廻りも動く。
 
 これって天動説、地動説の感覚と似ているのかなと。
 一点だけが幅を動かしているんではなくて、
 奥から外に生み出していて生み出した瞬間にまた情報は新しく刷新されて。
 スパイラル、旋回し続け合っている。
 
 常に新鮮な空間である事を、
 想いださなければいけないなと想えて来ました。
 
 想いだして往く事で、観察子の自覚が起こる。
 
 自覚って、自ら覚めると書きますね。
 自ら覚めるって、自分ではない事から目覚めて往く行為なんだと気が付きました。
 
 ナミさんの、こちらの記事のタイトルにもあるように
 『めぐる世界』に『いのち』を観じていけるよう

 できるだけ、心を外さず生きていこうと思います。
 これはもう、日々の心掛けですね~。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 ⭐️おまけ ←ナミさんのFB投稿のコメント欄参照

 『与命(よめい)』から派生して、おかげさまで
 『嫁入り(よめい・り)』の解釈が増えました😊


 そうそう。ナミさんのブログにあった
「アナタとワタシの挟間に世界が生みおとされる」
 こちらについては
 ヌーソロジーの半田広宣さんの奥様でもいらっしゃる
(そして人気ブロガー☆)春井星乃さんのブログでも
 つい先日話題になりましたよ^^

hoshinokatachimi.blog.jp

 
 以上、まだまだ嫁入り前のネオテニー未満・YUKIでした~☆笑